・はるな愛プロフィール
・はるな愛の現在の活動
・はるな愛にとっての家族、祖母の存在とは
・大好きな家族との絆と過去の葛藤
10月1日放送のテレビ朝日系『徹子の部屋』(月〜金 13:00)では、ニューハーフタレントとして活躍する、はるな愛さんが登場しますね!
はるな愛さんといえば、松浦亜弥さんの口パク・完コピものまね「エアあやや」で大ブレイク!
その後、歌って踊れる可愛いニューハーフタレントとしてバラエティ番組など引っ張りだこに。
そんなはるな愛さん、実はかなりハードかつ波乱万丈な半生を送っていて、過去にも自身の書籍やメディア出演で語っていたこともあります。
決して順風満帆な人生ではなく、苦しい時代もたくさん乗り越えて、現在の輝かしい活躍があるはるな愛さん。
その原動力となったのは、「特別な存在」と語る彼女の家族、特に祖母からの深い愛と絆だったと言えるのではないかと思います。
今回は、はるな愛さんの家族との絆や、幼少期唯一の居場所であったという、祖母との貴重なエピソードなどを深掘りしていきたいと思います。
最後までぜひ楽しんでいってください!
はるな愛のプロフィールと現在の活動について
引用元:公式インスタグラム
はるな愛プロフィール
名前:はるな愛(本名:大西賢治[おおにしけんじ])
生年月日:1972年7月21日(2024年9月現在、52歳)
出身地:大阪府
血液型:O型
学歴:高等学校中退
経歴:ミスインターナショナルクイーン2009 優勝 / エンジェルオブタレント2009 優勝 / ベストジーニスト2010 受賞 / ネイルクイーン2011 受賞 / 出雲観光大使 / 韓国観光名誉広報大使
物心ついた頃から「女の子」としてのアイデンティティを自覚し、小学生時代から女装してものまね番組などにも出演していた幼少期のはるな愛さん。
1985年にはテレビ東京『全日本ちびっこ歌まね大賞』で優勝しています。
はるな愛さんの最終学歴は高等学校中退。
中退後は大阪のニューハーフショーパブ「冗談酒場」で働き始め、1996年『上岡龍太郎がズバリ!』に出演し、メディアへの露出が増えます。
1998年には東京に上京し、DDTプロレスリングで世界初のニューハーフ・マネージャーとしてデビュー。
この頃はまだ芸能活動はほとんどないですが、バイトやレースクイーンなどの仕事で蓄えた資金でスナック店を開業するなど、実業家としてもメキメキと実力を発揮していきます。
その後、徐々にテレビ番組出演も増え、「エアあやや」や、大ファンでもある松田聖子さんのものまねパフォーマンスなどで注目され、モノマネ芸人・ニューハーフタレントとして活動します。
おなじみ「言うよね〜」のフレーズも流行ったよね!
2009年には、タイで開催された「ミスインターナショナルクイーン2009」で見事優勝し、世界一美しいニューハーフの称号を得たと同時に、国内のみならず世界的な知名度も手にします。
はるな愛の現在の活動は?
私は幼いころから世界を見てみたくもっと広い場所に行きたい好奇心旺盛な子供でした。
— はるな愛 (@haruna_ai0721) September 30, 2024
特に子供にはたくさん参加してもらいたいです。#EXPO2025 #Special Supporter
#大阪関西万博#スペシャルサポーター@expo2025_japan pic.twitter.com/j1HNHrTD8r
2024年現在、テレビ・ラジオやイベント出演など国内外でのタレント活動に加え、バーやお好み焼き店などの飲食店経営、自身が愛用していたコスメメーカーと直接コラボし作り上げたブランド「JACSKIN」の展開など、はるな愛さんの活動は多岐にわたっています。
また、数年前からは無料で食事を提供する「子ども食堂」をはじめとする、地域貢献やボランティア活動にも積極的に関わっています。
家族は特別な存在:一番の理解者は祖母だった
はるな愛さんは、幼少期を貧しい家庭環境で過ごしました。
当時は両親と弟、そしてはるな愛さんの4人家族で、狭い2DKの団地生活を送っていたそうです。
私は小さいころ、市営住宅の団地に、4人で住んでいたんですね。お父さんが借金をつくってきてしまう人で、すごく貧乏な生活をしていたんです。 電気、ガスといったライフラインを止められることは日常茶飯事だったのですが、お母さんがお仏壇のろうそくを立てて「今日は誕生日みたいね」と言ったり、シーチキンと白菜だけの“すき焼き”をつくってくれたり。
引用元:Yahoo!ニュース
中学時代にはテレビ番組で女の子の格好をして出演したことが目立っていたこともあり、中学校では壮絶ないじめも経験しますが、「自身のことで親を悲しませたくない」という思いから、両親には相談できなかったそうです。
「親が自分のことで悲しむのは嫌」って思いで、半ば本能的にこういうことを必死に隠しちゃうのが、子供というものですよね。
日々の生活で大変な両親に心配させたくない思いや、学校でのいじめ、さらには自分の性に対する悩みを抱え、心の奥底に孤独を抱える日々を送っていたはるな愛さん。
そんな苦しい時期に、唯一の理解者で味方となってくれていたのが祖母でした。
祖母の無償の愛
特に孤独を感じていた幼少期、常に味方でいてくれた祖母の存在は、はるな愛さんにとって、とても大きかったようです。
子どもの頃から、女の子用の洋服やおもちゃを欲しがり、ままごと遊びをする時はいつも母親役。
そんなはるな愛さんの様子に、お母さんもすでに何か「他の子とは違う」と感じていたのか、小学生のときにお母さんから
「男らしくしないと、中学に上がったらイジメられるよ」
と言われたこともあったとか。
そんななか、否定することも困惑することもなく、ただ全てありのままを受け入れてくれたのが、祖母だったそうです。
過去、スピリチュアル系テレビ番組『オーラの泉』に出演した際にも、祖母がどれだけ“孤独な子供らしくない子供”であった自分の救いになっていたか、涙ながらに語っていたのも印象に残っています。
おばあちゃんが一番の理解者で、親でもあり、友達でもあり、おばあちゃんだけは、無償の愛で『いいんだよ』と受け入れてくれる。
はるな愛さんの祖母は93歳で亡くなったそうですが、一緒に韓国や温泉旅行に行ったり、ショッピングをしたり、子供時代にはなかなか伝えられなかった感謝の気持ちも込めてたくさん「おばあちゃん孝行」できたようです。
「ニューハーフとして生きていく」と決心し芸能活動を始めてから改めて、自分は「心はずっと女の子」だったという事実を祖母に告げたというはるな愛さん。
おばあちゃんは「まあ、しゃーないなー」って一言。笑
本人から言われなくても、おばあちゃんはすでに気づいていたんじゃないかな。そのうえで「そのままの自分でいいんだよ」って、孫のはるな愛さんのことを受け入れていたし、愛してくれていたんだろうね。
過去の『徹子の部屋』出演回では、実際にはるな愛さんの祖母からのお手紙も紹介されており、
「愛ちゃんが女の子になって嬉しいことは、一緒にお買い物に行ったりできることです」
という嬉しい言葉もあり、はるな愛さんが感涙した一幕もありました。
常に仕事で忙しく、また、当時は夫婦喧嘩も絶えなかったという両親の顔色をうかがいながら、心の奥底では自分の性やアイデンティティに葛藤していた子供時代のはるな愛さん。
そんな彼女にとって、いつでも優しく大きな愛で包み込んでくれた祖母は、唯一安心できる居場所だったのですね。
そんな祖母の存在があったからこそ、自分を見失わず、「ありのままの自分でいいんだ」と少しずつ受け入れられるようになり、華々しく躍進し続ける現在のはるな愛さんに繋がるんですね。
家族の絆と葛藤
はるな愛さんにとって、過去には自分のことで悩み葛藤しながらも、現在の自然体な自分自身を受け入れてくれる両親や弟は、特別な存在だと語っています。
「なぜ女の子に生んでくれなかったのか」と親に憎しみを抱いた時期もありましたが、思いとどまれたのは家族とのたくさんの楽しい思い出があったから。
だから常に家族への感謝の気持ちがあると言います。
父親との関係
はるな愛さんは、過去の取材で「父が借金を作ったり、賭け事をしたり遊び好きな人だった」ということを明かしています。
昔は長距離トラックの運転手でもあったお父さん。
高校1年生の時に、家族の中ではじめてカミングアウトしたのもお父さんだそうです。
お母さんには面と向かって言えなかった。悲しい顔を見るのが嫌で。お父さんには、高校をずっとサボっていたことがバレたので、すべてを言わないといけないって。そういう時って、気持ちは男になるんですかね。母には、その後父から話をしたみたいです。
でも、両親は気付いていたと思います。なんかおかしいって。小さい頃から、女の子のものが大好きだったし。
引用元:文春オンライン
学校を辞めニューハーフとして働いて生きていくと告げた時には、「実家からお店に通うこと」を条件に許可を出してくれました。
はるな愛さんとの親子関係はとても良好なようで、大人になった現在は、一緒にお酒を酌み交わすこともあるとか!
過去テレビ番組で一緒に親子旅行をした際には、はじめてお父さんと本音で向き合ったことにより、これまでどこか心の奥底で抱いていた怒りの感情も、自然に溶けていき、許せるようになったといいます。
母親との関係
高校生時代のはるな愛さんのカミングアウト直後は、なかなか受け入れられず、「母親である自身の責任なのではないか」と悩み、その複雑な感情から半年ほどはるな愛さんを“無視”していたというお母さん。
後になってお母さんに無視した理由を聞いたら、やっぱりお母さんは怖かったって。「私が悪かったんじゃないか。私がちゃんと生んであげなかったからこんな思いをさせて」って。どないかして普通に生んでやりたかったという思いがあったからこそ、「自分を見るようで、愛の目を見るのが怖かった」と言ってました。
引用元:文春オンライン
お互いに複雑な感情を抱き、わだかまりが生まれた時期もあったようです。
全てを受け入れられず、性に否定的だったお母さん。
ですが、26歳になったはるな愛さんに、お母さんの方から「一緒にお風呂に入ろう」とお誘いがあり、そこから徐々に本音で向き合えるようになります。
心境の変化があったんでしょうね。うちの両親は離婚しているんですけど、私は離婚してから母の気持ちを考えるようになったんですよ。
ニューハーフとして働きながら、当時の恋人と母の面倒を見ているうちに、母の方も私を理解してくれるようになって。「この子は自立して、こうやって彼と生活してるんだ」というのを目にして、「この子は私のことをこうやって思ってくれるんだ」って。そこで女の子、娘として思ってくれるようになったんじゃないかなって。
お母さんが新しい旦那さんと住んでいる家を訪ねたら、女物のパジャマを用意してくれたし。そうやって、お母さんも理解しようと努力してくれてたから。
私の人生を理解しようという優しさからの「お風呂に入ろう」やったんだなって。もちろん、私の体がどうなっているのかも知りたかったろうし。でも、そのやりとりはギクシャクしたところはなくて、ごくごく普通の母娘って感じでした。
引用元:文春オンライン
現在は、テレビ電話をしたり、一緒に旅行もするほど仲良しというはるな愛さんとお母さん。
過去にはすれ違った時期もあった分、今は非常に良好な親子関係を紡いでいるみたいですね!
弟との関係
はるな愛さんの弟さんについて、公にされているエピソードはあまり多くありませんが、昔から兄弟仲が良くお兄ちゃん思いの優しい弟さんというイメージがあります。
というのも、当時中学生だったはるな愛さんの箪笥の中身が気になり、弟さんが開けてみると、そこには女性物のカラフルな下着が数枚入っていたそうで・・・
それを見つけ、実は兄が女性になりたがっていることを知ったという弟さん。
でも、両親には話さず黙っていたそうです。
子供ながらに敏感に気づきつつも、お兄ちゃんを気遣って自分からは何も言わなかったんだろうね
また、はるな愛さんは、2021年開催の東京パラリンピック開会式に自ら応募しパフォーマーとして出演を果たしたのですが、その理由も自身の大好きな弟さんにあります。
実はこの8年前に、弟さんが脳梗塞で倒れ車生活になったことがきっかけのひとつだったんだそうです。
はるな愛さんは、車椅子生活となった弟に「自由がない」「できることに制限がある」と思ってほしくないがために、積極的に家族旅行やお出かけにも誘うようになったといいます。
また、過去に出演したトーク番組では、はるな愛さんが弟さんを旅行に連れていった際に、弟さんの明るい笑顔に勇気づけられ、「家族のありがたみを改めて感じた」と想いを告白する場面もありました。
やはり、はるな愛さんにとって家族という存在は、昔も今も変わらず「特別な存在」なんですね。
まとめ|現在のはるな愛の活躍は祖母の愛のおかげ?家族はいつまでも特別な存在
・はるな愛のプロフィールと現在の活動について
・はるな愛にとって家族は特別な存在
・祖母は一番の理解者で一番安心できる居場所
・葛藤しすれ違った時期もあるが、今でも両親や弟と良好な関係を紡いでいる
・2021年の東京パラリンピック開会式出演のきっかけは、脳梗塞で車椅子生活になった大好きな弟
このような内容でお送りしましたが、いかがでしたか?
はるな愛さんのこれまでの人生や現在につながるキャリアにおいて、「家族」はいつまでも特別で大切な存在だということがわかりますね。
苦しい時期が多かった子供時代に、祖母の優しい愛を全身で受け、安心できる居場所として過ごすことができたからこそ、今の自由で“ありのまま”のはるな愛さんに繋がるのではないかと感じます。
今後も、ご両親や弟さんと仲良く過ごしていってほしいと思います。
そして、これからも国内外問わず、さらにマルチに活躍し続けてほしいですね!
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。