『松本清張スペシャル・疑惑』や『マンハッタン・キス』など数々の作品で存在感を放っていた女優で歌手のいしだあゆみさん。

歌手としては「ブルー・ライト・ヨコハマ」などでお馴染みだね
彼女の実妹は同じく歌手として活動する石田ゆりさん。
そして元旦那さんはショーケンこと萩原健一さんです。
実の姉や義弟も有名人という、いしだあゆみさんの超豪華な家族構成について顔画像と共にまとめました。
【画像】いしだあゆみの妹は石田ゆり


いしだあゆみさんの実妹・石田ゆり(いしだ ゆり) さんは1970年代に姉と同じく歌手として活動していた方です。
名前:石田 ゆり(いしだ ゆり)
本名:中西 由利子(なかにし ゆりこ)
生年月日:1951年11月23日
出身地:大阪府池田市
職業:歌手
実は、2003年度下半期のNHK朝ドラ『てるてる家族』の主人公・冬子は、石田ゆりさんがモデルだったとか。
原作は、石田ゆりさんの旦那さんでいしだあゆみさんの義弟・なかにし礼さんが担当したそうです。
1970年9月にシングル「悲しみのアリア」で東芝レコードから歌手デビュー。
歌手として活動しますが、1971年10月16日に作家のなかにし礼さんと結婚し芸能界を引退しています。
【画像】いしだあゆみの元旦那は萩原健一




名前:萩原健一(かぎわら けんいち)
本名:萩原 敬三(はぎわら けいぞう)
生年月日:1950年7月26日
出身地:埼玉県
職業:俳優・歌手
1980年5月27日に人気俳優の萩原健一さんと結婚したいしだあゆみさん。
この当時は2人とも人気絶頂時で、結婚会見はテレビでも放送され全国で話題となりました。
萩原健一さんといえば、「ショーケン」の愛称で親しまれ、代表作「太陽にほえろ!」や「傷だらけの天使」などでの名演技ぶりが世代を超えて愛されていますよね!
ふたりの馴れ初めなどプライベートはあまり明かされていませんが、おそらくは芸能活動や俳優の仕事を通じて知り合い、仲を深めたのではないかと思われます。
大スター同士の結婚に祝福の声が相次ぎましたが、結婚生活はそう長くは続かず、4年後に離婚しています。
【画像】いしだあゆみの豪華な家族構成まとめ
いしだあゆみさんの姉・石田治子さんや義弟・なかにし礼さんも有名人!
ということで、お二人のプロフィールや経歴をまとめました。
姉:石田治子(いしだはるこ)


いしだあゆみさんの姉は、元フィギュアスケート選手や指導者として活躍した石田治子さんです。
名前:石田治子(いしだ はるこ)
本名:岡本 治子(おかもと はるこ)
生年月日:1945年11月16日
出身地:大阪府池田市
職業:元フィギュアスケート選手、指導者
大学在学中に日本選手権3位で1968年グルノーブルオリンピック女子シングル日本代表として出場し、26位を記録。
大学卒業後の1968年に引退し、指導者としては、小林れい子さんや青谷いずみさんなど数々のフィギュアスケーターを育成しています。



幼少期の頃から、妹のいしだあゆみさんと共にフィギュアスケートを習っていたんだって
義弟:なかにし礼


いしだあゆみさんの義弟で妹・石田ゆりさんの旦那さんが、小説家・作詞家として活動していたなかにし礼さんです。
名前:なかにし 礼(なかにし れい)
本名:中西 禮三(なかにし れいぞう)
生年月日:1938年9月2日
出身地:満洲国の牡丹江省牡丹江市(現在の中華人民共和国黒竜江省)
職業:小説家、作詞家
1998年に小説『兄弟』で第119回直木賞候補となり、2000年に『長崎ぶらぶら節』で第122回直木賞を受賞。
NHK朝ドラ『てるてる家族』の原作となった『てるてる坊主の照子さん』や『赤い月』『夜盗』など数々の作品を執筆しています。
また、作詞家としてもたくさんの大物歌手の作詞を手掛けており、
- 朝丘雪路「雨がやんだら」(1970年)
- 石川さゆり「風の盆恋歌」(1989年)
- 五木ひろし「VIVA LA VIDA 〜生きているっていいね 」(2018)
などで知られています。



義姉・いしだあゆみさんの曲も作詞しているよ
1990年代後半からはテレビ朝日のワイドショー『ワイド!スクランブル』のコメンテーターを務めていた時期もあります。
こうしてみると、実の姉妹や義弟が有名人ぞろいで、とても豪華な家族構成であると改めて感じますよね!
いしだあゆみさん自身もフィギュアスケート・女優・歌手など幅広く活躍されていて、非常に才能豊かな人であったことがわかります。
まとめ
今回は歌手で女優として活躍したいしだあゆみさんの妹・石田ゆりさんや、元旦那の萩原健一さんなど、豪華な家族構成をまとめました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。